網膜剝離の闘病記を、ここに記録しておく。
2026年2月28日
朝起きたら左目の視界の一部が真っ黒に欠けていた。
なんの痛みもなく、右目の視野と被る箇所だったので、あまり気に留めていなかった。
2026年3月1日
社会人サッカーの試合に出場。
河川敷のグラウンドを走り回り、ヘディングもしてしまった。
その日の夜、欠けている部分が1/4か1/5くらいに大きくなっており明らかに見づらい状態になっていて、ここで『もしかして、網膜剝離か』と気づいた。
ラグビー部に所属していた高校生の頃に、網膜剝離を経験していたからである。
2026年3月2日
午前中は打合せがあったので仕事をし、午前中の診療終了間際に眼科へ突撃。
「網膜剝離です」と診断結果を告げられた。
さらに「過去に手術歴があるので、うちの病院施設ではできません。紹介状出すので提携先の眼科にこれからすぐに行ってください」とのこと。
移動中に前回の手術は全身麻酔で入院していたな~と思い出した。
手術方法を調べたところ、年齢的なことから、目にガスを注入しうつ伏せで状態で入院とあった。
『入院か。終わった』と覚悟しながら、次の眼科で言われたことが予想外の展開に。
「ん~、前にバックリング手術(固定)をしているね。通常ならガスを入れて剝離した部分を戻すんだけど、今後のことを考えて、石橋を叩いて叩いて渡る感じにしよう。再発ということは重症患者の部類だから、より強いシリコンオイルを眼球に注入し、網膜が張り付くまで暫く安静ね。手術は3回の予定で、今日これから準備して1回目の手術をしよう。」
「えっ?はい??」
想像以上に大変な事なんだと実感。
そもそも目の視界の一部が真っ暗なだけで、身体はピンピンしてますから。
とりあえず聞いたのは「手術は全身麻酔ですか?それと入院するんですか?」だけ。
「部分麻酔ですよ。ガス注入の場合はうつ伏せの状態で一週間位入院だけど、シリコンオイルだから日帰りで大丈夫ですよ」とのこと。
入院を回避できたのは唯一の救いであった。
それから血液検査をしたり、あらゆる目薬を点眼されまくり、長いパッチリまつ毛をカットされ
いざ手術室へ。
■1回目 網膜剝離硝子体手術
手術台に乗り、左目が閉じないように器具を装着され、その上から透明な粘着シートを貼りつけられた。
光を当てられているのでとても眩しい。目が閉じられない苦痛。
「では、麻酔しますね~。少しチクっとしますよ~」とかる~く言われ、ズブブブブ…
眼球の裏側に注射を打たれ、ジワ~~~っと液体が広がる感覚があった。
すぐに感覚は無くなり、カチャカチャ器具を動かす音やチュルチュルチュルという吸引&注入の音がする。
時間にして約1時間。部分麻酔だったからこそ左目を蹂躙された感覚が残った。
具体的な手術は以下の流れ。
①水晶体(ピントを合わせる部分)の除去
今回の手術をするのに邪魔なので取り除かれ、3回目の手術で人工レンズを装着予定
②硝子体の切除(原因の除去)
白目に3〜4箇所、コンマ数ミリの小さな穴を開け器具を入れる
剥離の原因になっている『硝子体』というゼリー状の組織を、専用カッターで綺麗に切除&吸引
③溜まった水を抜く
網膜が剥がれると、その裏側に水(液化した硝子体)が入り込んで張り付くのを邪魔してしまう
この水を抜いて本来の正しい位置(目の奥の壁)に網膜をピタッと戻す
④レーザー光凝固(穴の目印・補強)
網膜が破れている部分の周りにレーザー照射
破れた壁紙の周りに強力なボンドを塗って、これ以上破れが広がらないように焼き付けるイメージ。
⑤シリコンオイルの注入(内側からプレス)
今回のメインイベント。
『シリコンオイル』を注入(液体)し、その圧力(表面張力)で網膜を内側から外側の壁に向かってギューッと押し当てる
レーザー凝固した部分が完全に塞がるまで押し付け、網膜の再剥離するのを防ぐ
ここが”ガス”だと押し付ける力が弱く、さらに”気体”だから時間と共に抜けてしまうのだ
そりゃ1時間くらい手術やるよね。
受ける方も大変だけど、この手術をする医者も凄いなと思った。
そんなこんなで手術は終了。
左目は薄っすら景色は見えるが、目としての機能はほぼなし。
すぐさま眼帯を付けられた。
『ふ~ぅ。1回目だけど、とりあえず終わった。。。』と思ったのだが、
本当の闘いはこの瞬間から始まった。
日常生活の制限がヤバイ!
・感染症対策のため洗顔&洗髪&入浴 1週間禁止(加齢臭が~)
・常に保護ゴーグルまたは眼鏡を着用 就寝時も必須(とても寝にくい)
・就寝時は、うつ伏せまたは横向き状態をキープ(意識ないけど、どうやってキープするの?)
左目は、シリコンオイルが入っているので、常に景色がボケている。
見え方は、水の中にいるような感じで、ピントが合わないので、片目だけだと距離感がわからず歩くのもひと苦労。車の運転なんてできやしない。
眼帯をしているので、パソコン作業は片目でするからとても疲れる。
3つの目薬を処方され、点眼する回数が1日に10回。つけ忘れがないように常に持ち歩く。
入浴はダメだがシャワーは可能ということで、目にお湯が入らないように保護ゴーグルとねじり鉢巻きをして洗髪をし、左目周辺以外の顔は化粧水で拭いた。細心の注意を払い編み出した方法だが、こうでもしないと臭すぎて自他共に迷惑行為となる。
運動制限もヤバイ!ヤバイ!
・許可されていた運動は、ゆっくり歩くウォーキングのみ。
・5キロ以上の物を持ち上げてはいけない。
・血行&血流がよくなると目に負荷がかかり、感染症の面からもサウナは2カ月禁止。
・網膜が剝がれやすい状態なので、ともかく衝撃を与えてはいけない(手術の前日ヘディングしてしまった)
身体は超元気なのに運動禁止なのが辛すぎる。
今まであんなに動いてたのに、柔術もできない。サッカーもできない。
そもそも汗をかくことができない。
今まで当たり前にやっていたことが、突然できなくなる生活となった。
術後は経過観察のため通院ばかり。
検診後に「いつになったら運動できますか?」と定期的に聞いていたら
「生活面では制限が解除されるものもありますが、運動についてはあと2回手術が残っていますので、それ以降になります。それほど大変な手術ということを理解してください。」と釘を刺されてしまった。
できないことを嘆いててもストレスが溜まるだけ。
頭を切り替え、制限がある中でも、自分ができることをこなすのみ。
ということで、運動はひたすら歩くのみ。
iPhoneの万歩計を確認するようになり、何分歩けば、何歩位という感覚が身に付いた。
AIには「あれはやっていいのか? これはやっていいのか?」と質問しまくった。
腕立ては?
スクワットは?
プランクは?
懸垂は?
ケトルベルは?
半身浴は?
サウナは?
バイクは?
フットサルは?
柔術の打ち込みだけなら?
全部聞いた。
回答は、ほとんどがダメ。OKが出たのは、半身浴5分とゆっくりスクワット5~10回だけだった。
それと「~だけなら?って聞くけど、アナタはどうせそれ以上やるでしょ?」と、AIになだめられる始末である。
やはり医者が言っていたことは大袈裟ではないと納得した。
そんな生活を約1ヶ月過ごし、2度目の手術を迎えた。
■2回目 網膜剝離硝子体手術 4月6日
前回注入したシリコンオイルを抽出する。
1回目の手術と同様に、局所麻酔をして眼球に針や管をブッ刺します。
時間は20分位だったが、どうせまな板の鯉状態なので『無の境地』で過ごした。
「今まではシリコンオイルで剥がれた網膜に圧を与えていた状態ですが、今は押さえつける圧がない状態です。再剥離のリスクが高いので充分に気をつけてください」と忠告された。
「ちなみに再剝離したら、どうなるんですか?」とアホな質問をしたところ「また初めからやり直しです」と宣言をされた。
ボードゲームの”振り出しに戻る”とはわけが違う。
こんな生活を繰り返すことになるのを想像したら、さすがにおとなしく過ごそうと決意した。
その後、定期検診の結果、再剝離は見られず次の段階へ許可が下りた。
AIに教えてもらった自然治癒力を高める食事など、あらゆることを実施した甲斐があったのかもしれない。
■3回目 白内障手術 4月20日
人工レンズを装着
時間は10分位。1回目の手術に比べたら屁でもねぇ。
手術前の視力に戻り、片目生活に終止符が打たれた。
幸いなことに以前使用していた眼鏡が引き続き使用できたので、両目で生活できる喜びを噛み締める。
画面を見る疲れも軽減され、車の運転もできるようになった。
GW明けには「軽い運動は大丈夫です。ただし、飛んだり跳ねたりしないでください。」と少しずつ運動の許可が下りた。
回数制限があるにしろ腕立て伏せやプランクもできるように。
スポーツジムに行って負荷が軽い器具を使ったトレーニングや有酸素運動のクロストレーナーもできるようになった。
運動で汗をかくことの喜びと、気持ちがリフレッシュしたのを感じた。
5月16日 検診
コンタクトレンズの許可も下り、手術をした病院での経過観察は今日で終了となった。
計3回の手術をし、何度も足繫く通った病院からの”卒業”は、心の中で『よっしゃ~!』とガッツポーズ。
今後は、自宅近くの最初に診断してくれた眼科で経過観察をすることに。
5月29日
紹介元の眼科にて検査。
「網膜剝離になってすぐに対処できたことは良かったけど、ここまで綺麗に戻るとは思っていなかったよ。綺麗にくっついてます。」この言葉を聞いて安堵した。
そして、お決まりの「いつから運動再開できますか?」と聞いたら「もう大丈夫ですよ。」と。
『ん? う~ん??』
手術した病院では不安をあおるようなことをすげ~言われていたことを伝えると
「〇〇先生は、口下手で慎重な人だからね~。でも手術の腕は一級品だから。もう大丈夫ですよ。もちろん左目に凄い衝撃が当たったらリスクはあるけど、それは一般の人と同じようなものですから」
ようやくここで、約3ヶ月の闘病生活に一区切りがついた。
振り返ってみると、健康は失ってから価値に気づくものではない。
本来は、健康な時にこそ感謝しなければならないものだ。
当たり前のことを失って、人は気づく。
健康に限らず、仕事も家族も仲間も同じなのだろう。
そして、この経験を通じて学んだことは『できないこと』に不満やストレスを抱えるのではなく『できること』に目を向けること。
今、自分には何ができるのか?
焦らず一歩ずつ前に進むこと。
自らの意志と行動で前に進んでいる感覚があれば、気持ちもポジティブになる。
リスクを抱えながらも、ブラジリアン柔術もサッカーも復帰した。
なんなら今回の怪我の功名で、ウォーキングも追加された。
心身の健康を考えた時に、一つのリスクだけに注目して
今まで健康維持につながっていた行動を制限する理由にはならない。
リスクを最小限に留め、うまく付き合いながら前に進む。
という選択をしたまでだ。
そして、健康という土台があって『自由』を得られていたことも今回の経験で気がついた。
運動ができる。行きたい場所へ行ける。周りの人たちと笑い合える。
それらは全て、人生においてかけがえのない幸せなのだと思う。
そして、今回の怪我によって心配や迷惑をかけた人たちがいることも忘れてはならない。
支えてくれた人への感謝を忘れてはならない。
「ごめんなさい。」「ありがとう。」
余談だが、3ヶ月半ぶりに自分の身体をよく知っている整骨院に行ったら
「なんだこれ。身体がだいぶ変わったね。まぁしかたないか」と言われた。
また『自由』を得るために、身体作りから始めるしかない。