よく耳にする『老害』という言葉。
自分も意識するようになってきた。
本来、年長者の知恵や経験は、社会にとって貴重な財産のはずだ。
では、どんな言動が『老害』とされるのか?
それは、価値観を押し付け、変化を拒み、過去の成功体験に固執し、若者の挑戦を妨げ時間を無駄に奪うことだろう。そりゃ確かに『害』である。
老害事例
■ 会話・コミュニケーション版
・若い人を捕まえて、自分の話(過去&自慢&経験&思想など)を延々と語り続ける
・若者の話を遮って「いや、それは違う」と即座に否定する
・「昔はもっと大変だった」と苦労自慢でマウントを取る
・新しい言葉や流行を理解しようとせず嘲笑い「最近の若者はわからん」と若者との交流を遮断する
・アドバイスのつもりで「こうしろ」と命令口調になる(そもそもアドバイスを求められていない)
・説教&精神論&根性論ばかりで、実質的な具体的な提案がない
・「そんなの常識だろ?」と、自分の常識を若者に押し付ける
・若者から意見された時や指摘された時に「そうだったのか」と素直に受け入れられない
・自分の認識が間違っている事実に「ごめんなさい」と言えない
■ 家庭・ご近所・地域版
・家族や親戚が選んだことに対し、頭ごなしに否定し相手の話しも聞かず、自分の価値観を押し付ける
・新参者や移住者に対して「この町はな、昔は…」と上から目線&マウンティング
・SNSやネット利用に懐疑的で、若者の生活スタイルを批判する
・テクノロジーを使わずに済むやり方を強要する
・地域活動で若い人が意見すると、具体的な理由や時期を述べずに「お前にはまだ早い」と言う
・「では、具体的にどのようになったら良いのですか?」と聞いただけなのに、不機嫌&逆ギレする
■ 職場・組織版
・「前例がない」「昔からこうやってきた」と新しい提案を潰す
・権限は使いたがるが、責任は取りたがらない
・肩書きや社歴だけで他人の意見を最後まで聞かずに判断する
・ITツールや新しい働き方への理解がなく、時代に置き去りにされている
・業務を任せるふりをして、結局すべて自分でやり直す
・「部下は俺についてこい」「俺がトップだ」と、時代錯誤のリーダー像を押しつける
挙げたらキリがないが、これらはすべて『年齢』そのものではなく『他者への配慮の欠如』『過去への固執』『変化への拒絶』によって“害”になってしまっている。
ということは、『老害』とは、年を重ねること自体が問題なのではなく『謙虚さ』『柔軟性』『学び続ける姿勢』を失った時に、世代間の断絶として生じてしまうのだ。
”俺”が教えてやっているんだ!
”オレ”の貴重な経験を話してやっているんだ!
”おれ”の方が偉いんだから、話しを聞かない奴の方が悪い!
=だから、俺のしていることは『老害』ではない!
ミスターパーフェクトです♪
年長者は本来、経験を活かして年下や後輩を導く存在のはずである。
善導なのか老害なのか、導き方が問われている。
ただ、人にはそれぞれ個性があり、考え方や性格なども違う。
もちろん自分も例外ではない。
そこで、自分の性格に合った老害対策(仕事編)をご紹介します。
最近言われたのだが、自分は『究極のめんどくさがり屋』という評価を受けた。
残念ながら、反論の余地もないキャッチフレーズである。
その一因としては、『何をやるべきか』よりも『やらないことを決める』から考えてしまうからだろう。
例えば、こんな問いを自分にぶつける。
「そもそも何の目的でやるの?」
「どれくらいの時間&資金&エネルギーが必要なの?」
「誰のリソースをどれだけ捻出するの?」
「本当に必要なことなの?」
こんな感じで考えているので、ドライなイメージを持たれることがありますが、時間も資金もエネルギーも有限なんですよ。
『やらなくて良いことを決めて』から『やるべきことを決める』方が選択と集中、そして自由度が増します。
さらに追加しますと、不要なことや無理にやることを減らすことで、精神的・身体的な負担も軽減できる。
そりゃ、、、『究極のめんどくさがり屋』と思われても納得です。
さて、『老害』に戻しますと、事例のほとんどは、”話す”という他者との接触が起因となっている。
ということは、物理的に話さなければ、回避できるのだ(笑)
結論:『必要最低限のことだけ自分から話しをする』という、自分の性格と相性が良い方法を考案したのである。
いつも年下や後輩にベラベラ喋っていると、そもそもそれが老害だし、周囲との距離感も馴れ合いになってしまう。
寡黙であれば、適度な距離感を保ちつつ、重要なことを伝える時の緊張感もひと味違う。
お互いの時間を奪い合うことにならないし、逆に『若害』についても回避できる。
つまり”話しかけないこと”が老害対策になる説。
そして、典型的な老害ロングタイムへの切り口はこれだと思っている。
「飯行こうよ」「ちょっと飲みにでも行こうか」
自分は、基本的にご飯などは誘わないし、そもそもお酒は飲まない。
誘ったことにより断れない雰囲気で相手にストレスになってないかと気を遣うのも、せっかく誘われているから今日は行かなきゃまずいかな~と気を遣われるのも嫌なのである。
「行きたくないっす~」「行きたいで~す」「ご飯連れてってください!」とハッキリ意思表示できる人との関係のほうが、ずっと健全で心地いい。
そもそも”誘わないこと”も老害対策になる説。
話しかけない&誘わない対策を紹介したが、
極論を言えば、話したいことがある人は、相手からタイミングをみて話しかけてくるはずだ。
とういうことで、相手からアプローチされたバージョンもご紹介。
「〇〇を知りたいんですけど」「〇〇やってみたいんですけど」「〇〇について相談したいんですけど」などなど、話しかけてくれるなら対話を意識し、膝を交えて話しをします。
ただし、自分の話しが全てその人のためや学びに繋がるとは思っていない。
人は“話す”より“行動を共にする”ことで本質が見えることがある。
だから、自分に興味を持ってくれた人には、プライベートを含めた自分の「日常のルーティン」を紹介し、相手にも言える範囲で話しを聞かせてもらう。それは、時間やお金の使い方にこそ、その人の考え方や本音が滲み出るからだ。
お伝えする目的は、価値観や考え方の自己紹介。自分を知ってもらうためである。
実際の例として「痩せたいです」「自分を変えたいです」「論理的思考を養いたいです」ってな感じのことを言っている人がいたので、柔術をお勧めし「試してみたいです」となったら、一緒に柔術ジムに連れて行く。
柔術が仕事においても、健康においても、人生においてもメリットが多いことは、自分自身が経験&実感しているし、過去のブログでも紹介している。
話すだけではなく行動を共にすれば相手自身も何かを感じ取り、その後の行動は本人に委ねる。
今まで何人か紹介したのだが、残念ながら柔術を今でも継続している人は2人だけである(笑)
アプローチされたら”お互い共有できる行動を一緒にする”説です。
求められてもないのに、自分の過去や功績を語ることは、今を生きる若者にとっては何の価値もない。
それは単なる自尊心の発露でしかなく、未来を開くものではない。
『老害』にならないために大切なのは、自分の常識を疑い続け、時代とともにアップデートしていくこと。
そして、口数よりも、行動で信頼を得ることに努める。
時代とともに価値観は変わる。
自分の価値観を時代に合わせて更新する。
その姿勢こそが、年齢を重ねる本当の意義なのかもしれない。