紫帯

BJJ

僭越ながら『紫帯』を頂きました。

ブラジリアン柔術の帯色は
白帯⇒青帯⇒紫帯⇒茶帯⇒黒帯
の順番となります。

詳しくは以前書いたコチラのブログへ 帯制度

6年4ヵ月前、始めたばかりの初々しい白帯の時には、”青帯”の人とスパーリング(5分の試合形式)をするだけでも「絶対敵わない!」と思っていました。
全身の力をフルパワーで使っても、あれよあれよとゴロゴロ寝かされてしまい抑え込まれたら身動きが取れず、5分間に何度も極められ何度も締められ、やられたい放題されてました。手加減されていることが伝わりつつも完膚なきまでにやられるので、”悔しい”を通り越してもう笑うしかないって状態です。
その”青帯”の上の『紫帯』となりました。

なんの定義もされておりませんが、巷で言われているのは
柔術の世界において『紫帯』はひとつの目標とされており、ひと昔前であれば自分で道場を開ける色帯でした。現在は所属ジムでクラスを担当するインストラクターをしている人も多くいます。
また、『青帯』は柔道の初段~2段に相当すると言われ柔道では黒帯に該当しますが、これはルールによって強さは違うと思います。経験上では、投げ技だけならもちろん柔道黒帯に軍配があり、抑え込みは柔術青帯有利、締め技&関節技は柔術青帯に軍配があると思います。

ブラジリアン柔術のルールは、柔道のような道着を掴む場所が限られているとか、膠着状態や乱れた道着を直す「待て!」の仕切り直しや「抑え込み20秒で1本!」などは存在せず、むしろ相手の道着を使って締め技をしてもOKなくらい緩いルールで反則は少ないです。

色帯によっての違いは『青帯』からは手首の関節を極めることが解禁となり、『茶帯』になると膝と足首の関節を極めることが解禁となります。『白帯』でもストレートフットロック(アキレス腱固め)だけは認められています。
帯色が上がると使える技がどんどんアンロックされていくので攻めも守りも豊富となり、戦略性が増していく競技となります。

そんなブラジリアン柔術は”実力の差”がハッキリする競技です。
その理由は、【筋力】&【テクニック】を同時に効率よく使用する必要があり、それを使い続ける【体力】がないと相手に勝てないからです。

最大値を100とした場合どうなるか数値で表現してみましょう。
例えば、お互い柔術家同士で同じ年齢で同じ体重だとします。

同じ競技者&体型で、腕力や脚力など【筋力】が全て2倍です!ってことはないでしょう。
どんなに力の差があったとしても70対100だと仮定します。

そして、重要なのが【テクニック】です。
ブラジリアン柔術のテクニック(技)は2,000以上と言われており、そのテクニック1つ1つに少なくても2~3個、多いと7~8個以上の手順があります。この手順というのが非常に厄介でして、1から順に正確に実行できないと1つの技として成立しません。複雑なテクニックを正確に実践できること自体が非常に難しいのですが、白帯が30としたところ黒帯が600とすると5対100になります。
「自分の筋力を充分に発揮する体勢、相手の筋力を発揮させない崩し」などもロジカルに体現されており、テクニックの土台となってます。

【体力】は競技者同士ということで同じ条件と仮定しましょう。

筋力100+テクニック5+体力100=205
筋力70+テクニック100+体力100=270
205という数値は何度挑戦しても270には勝てません。
この数値の組み合わせをどうするかであり、掛け算ではなく”足し算”の合計値なのでコツコツ積み上げが必要。

なので、通い始めて6年4カ月経ちますが、ジムの道場主に勝ったことは1度もありません。2000戦以上挑んでいますが全て負ける理由は、先ほどの合計数値が超えていないので1度も勝てないということです。
【筋力】も【体力】も大事ですが、肝心なのは複雑な【テクニック】を覚え実践できるかどうかが重要であり、一番実力差が表れる要素なのです。

たまに「空手やってました!」とか「フルマラソンやってます!」的な10代~30代のブラジリアン柔術未経験者の男性がジムに体験に来るのですが、経験者の40代~50代のイケオジ達にやられるのはもちろんのこと、熟練者の女性会員にも抑え込まれたら逃げられず最後は締められて少し意識がどっかにイッてしまい、呆然と意気消沈している光景をよく見ます。それは、攻めも守りも知らないテクニックの数値が0という状態だからです。

継続すれば必ず経験値が積み上げられて、年齢差や性別を超えてしまうほど実力差が出る競技なんです。

そんなブラジリアン柔術を経験して思うことは、勝負がハッキリしているところが良い。
ピアノやスケートなど、誰かに審査され点数や評価をつけてもらうわけでもなく
【自分から敗北を認める】or【相手が降参の意思表示をする】という分かりやすい1対1の完全決着ルール。
1本(締め技&関節技)で決まらなければ、試合時間内に獲得したポイントで勝敗をつける。

自分から降参するって勇気がいることなんですよ。
それは相手の実力と自分の実力不足を認め、噓偽りのない等身大の自分でいなければできないことですから。
敗北から学ぶことについて過去のブログで書いてます。 敗北

そんなことから精神的な面でも鍛えられること間違いなし。

「運動するのが億劫なら動かなくてもいいよ」
「食べるのが我慢できなければ好きなだけ食べればいいよ」
「覚えることが嫌ならやらなくていいよ」
「やろうと思ったことだけど、嫌なら辞めてもいいよ」
こんな甘い言葉をかけてくる人が自分にとって優しい人とは限らない。
「今日は良く頑張ったから自分にご褒美で、勝手気ままに好きな事だけするか」のような日々を過ごす。

これって『優しい』ではなく『甘やかしている』だけ。
意味を履き違えている勘違い野郎です。

自己顕示欲という言葉がある。
存在価値を高めようと自分の意見や経験を強く主張したり自慢話しをすることによって他人から認められたい。自分自身を目立たせることで周囲から注目されたり、褒められたい。
これの矢印は『他人⇒自分』となります。

柔術家は、勝負に負けても、思うように動けなくても、なかなかテクニックを覚えられなくても
”凹んでる時間が勿体ない&そんな時間は何の肥やしもならん!”と、自分を追い込み打ち勝つことに専念しているストイックな人が多い印象です。
目の前にボッコボコにやっつけられた相手がいるのに何度も「お願いします!」と挑戦する姿は、小さい子がオセロやゲームに負けて勝つまで「もう一回!」「もう一回!」と言い続けているようなしつこい大人達です。絶対に勝つことはない勝負に挑み続けて、苦汁をなめることになるでしょうけど。
良い意味で周りを気にせず他人がどうとかは一旦放置状態で、無様な姿を晒すことになろうとも意に介さず
”口を動かす”よりも身体と頭を動かして、課題を抽出し&課題と向き合い&課題を克服しようとしている自分に納得できるかなので、自然と矢印は『自分⇒自分』に向いている状態になる。

座右の銘ではないですが、自分の考えとしている言葉がある。
『人は腐るのは簡単で、成長する方が難しく
 他人を潰すよりも、成長させる方が難しい』

・激しい運動が辛くて、覚えることも多く体現することも難しく、負けを味わうことが多いから辞める人も多い
・年齢も社会的立場も関係なく頭を下げて”教えてください”と教えを乞うことが習慣となり、出来ない自分を受け止め、自己成長に繋がることを実践する
・弱い者に対して自分の強さを誇示し、気絶するほど締め落としたり骨折&脱臼など怪我させる
・仲間を想い楽しい時間を共有し、必要であればアドバイスを伝えたり、教えを乞われたら真摯に応える
ブラジリアン柔術で例えるとこんな感じですが、仕事や生活、子を持つ親にも置き換えられると思います。

しかし、良いことばかりではなくブラジリアン柔術には”怪我”のリスクが潜んでいる。
幸い自分は柔術が続けられないような大きな怪我をしていないが、擦り傷や痣ができたり突き指したり肋軟骨損傷したり、細かい怪我は発生する。始めた頃は耳が湧いてしまって、形が落ち着くまでが大変だった。
ギョーザ耳とも言われているが、摩擦&刺激&圧迫などにより変形してしまい酷くなるとイヤホンが耳に装着できなくなるほどぐちゃぐちゃになる。内出血ができて耳がプニプニするのだが、枕にあたると寝れないくらい痛くて、仕事中も電話の受話器が当てられなかった。耳鼻科のお医者さんに「警察関係の方ですか?」と聞かれながらも、血が溜まっている両耳に注射をブッ刺してもらい、数回血抜きをすることでイヤホンが装着できる耳に落ち着きひと安心したことも今となっては良い思い出である。

師匠から紫帯を授与された時に、ジムメンバーが居る前で「ひと言どうぞ」と急に振られ
「ただただ楽しくてここのジムに通っていました。今回帯の色が上がりましたが、強くなるだけではなく人間形成の場と考えてます。この考え方は変えずに、怪我しない怪我させない平和な柔術家でやっていきたいと思います。」と、仲間から送られてきた動画を観たらこんな偉そうなことを言っていた。

まだ道半ばですが、ブラジリアン柔術を通してある考えに至りました。
『強さとは本当の優しさを持つこと』

身が引き締まる思いであります。

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