なぜブログを書いているのか。
定期的に0から1へ変化させる”ゼロイチ”時間を設けたいからである。
外部からの情報や自分の経験、思考、感情などについて
真っ新な状態から言葉を選び文章を組み立てていくのは、創造的な時間だと体感している。
月2回の更新を自分に課しているのだが、定期的に書くとなると常にネタ探しのような状態になり、物事に対する見方が少し異質に感じる。「あっ!これいいな!」と思ったら、すぐにスマホのメモ機能に記録しておき、現在書こうと思っているネタだけでも10個以上ある。文章構成などは移動中や隙間時間で考えていることが多い。
日経新聞に”東京大学”と”吉本興業”のコラボプロジェクトの記事があった。
”学術”と”対話”という互いの強みを研究し共に活かしていく内容だ。
面白そうな取り組みだなと思ったら、このコラボは2025年大阪万博や2030年SDGs目標達成までを見据えてた。
前にも題材にしたが芸人は凄い。
笑わせることができる。笑われることも”オイシイ”と前向きに捉える。
表現力も豊かで伝える能力が長けており、場の空気を作り出すこともできる。
全てビジネスシーンで必要な要素である。
余談だが、私の兄は東京大学卒である。大変素晴らしい学歴の持ち主だ。
しかし、学術という印象は全くなく大学受験の時はいつも家で寝ていたイメージしかない。
東大生の時に、当時付き合ってた女性にフラれリビングで大泣きしていたのだが
母に「女なんて星の数ほどいるんだからいつまでもメソメソ泣いてんじゃないよ!邪魔だ!」
と喝を入れられていたのを覚えている。我が家の教育方針に慰めるなどは存在しない。
そんな兄からは社会人なりたての頃に「ブログを書くことはビジネススキルが磨かれる」とアドバイスをもらい、久しぶりに自分が書いていたブログを見つけ出し、当時の考え方やモノの見方などが書かれていた。
今振り返ると若いなりに一生懸命書いていたな~と思うが、寸評することは容易だ。
誰かに向けて書いているわけでないので、”その時の”自分を知り向き合うことになる。
表現方法が文章しかないので、言葉や意味が合っているか調べたり、見返してみると何を言ってるのかわからなかったり、文章構成に流れや抑揚がなかったり、それは今でも苦労している。
コピペはとても簡単な手法で苦労しないのだが、”書いた”と勘違いしてしまうのでナンセンスな方法。
ブログは、「書く人or書いた人」と「書いたことがない人」で”経験”という差が生じるということだ。やってみて”初めてわかる感覚”がそこにはある。
1日24時間
創造的な時間を使っているのはどれくらいあるのか。
大きく分けて3つの時間帯がある。「睡眠時間」「就業時間」「左記以外の時間」
40歳を過ぎて、ある考え方にたどり着いた。
”できることをやめる”
”できないことに挑戦する”
では、できることばかりやっているとどうなるのか。
周りが育たない。
任すこともないから教えることもしない。
できることしかやってないのに”やってる感”を得てしまう。
頼られちゃったりすると優越感を得てしまう。
自己満足感により成長意欲が乏しくなる。
失敗に対してネガティブなイメージを持つ。
失敗ばかりを恐れるようになる。
能動的ではなく受動的な姿勢になる。
やれば良いことだとわかっているのにチャレンジしなくなる。
時間の浪費につながる。
いろいろあるが、こんな状態に陥る可能性がある。
ああなりたいこうなりたいと夢や目標を持つことはいいが他人と比べるようなものではない。
答えは全て自分の中にあるはずだ。
いつも楽しそうにしていれば充実しており
つまらなそうにしていれば何かが満たされていないということだけ。
自分との答え合わせの指標となるだろう。
笑顔や笑い声というのはとても大切である。
思い返せば、課題がある写生大会のように決まったモノをジッと写し描くよりも
自由にテーマを自分で決めて、真っ白なキャンパスに自由に描く方が好きだった。
自分のキャンパスをどのように描いてきたのか。
今後どのように描いていくのか。
描くには、創造的な思考が大切である。