資本主義

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日本は『資本主義国』として経済が成り立っています。

資本主義の性質は、大きくわけて2つ。
①私有財産の保護⇒個人や企業が資産を所有し、自由に活用できる。
②市場経済⇒個人や企業が資産やサービスを生産&販売する自由があり、需要と供給で価格が決まる。

自由に財産持っていいし、自由にモノづくりやサービス提供をしてもいいですよ。売り手と買い手が合意した金額で取引しましょうね。
ひと言で表現すると『自由』ってことです。

自由競争だと”個人の利益追求”が重要視されそうですが、日本は独自の傾向があります。
それは、『集団の調和』や『長期的な安定』を優先し、系列のグループ会社や相互に株式を保有することで安定を図ったり、終身雇用や年功序列といった働き方も、会社と社員の長期的な関係を築くための仕組みです。
お互い協力し合って頑張ろう♪という相互扶助の考え方です。
しかし、近年はグローバル化の影響を受け、日本企業も諸外国の成果主義や柔軟な雇用制度を取り入れる流れもあります。

2025年1月にアメリカの企業メタ(旧Facebook)の最高経営責任者マーク・ザッカーバーグ(柔術愛好家)が「成績評価の基準を引き上げて、成績不振の下位5%の従業員を削減しま~す」と発表しました。チンタラ働いている奴は、辞めてもらいますから!ってことです。

アメリカの平均年収は、約800万円。
もちろん物価も高く、ニューヨークでラーメンを食べると一杯約3,000円~5,000円です。
日本の平均年収460万円からしたら、厳しすぎる生活環境になります。

IT業界の大手メタで働く人達の年収は、平均年収よりもきっと高く設定されており
だから”求められることが多く”、「危機感持って仕事してくれよな」というメッセージでしょう。
確かに言いたいことは理解できますし、必然と生存競争が激しい環境になります。

ここで、アメリカの【レイオフ】と【シニオリティ】に触れておきます。
【レイオフ】とは、企業の都合で従業員を一時解雇すること。
【シニオリティ】とは、「先任権」や「年功」を意味します。

業績悪化や不採算部門の工場閉鎖などで、早期退職を募ったり、人員整理することになった場合(レイオフ)には、勤続年数の長い従業員が有利な扱いを受ける『シニオリティ・ルール』が適用されます。

勤続年数が長い者は、会社に長く貢献していると判断され優先的に守られますが、勤続年数が短い者は真っ先に解雇対象となります。心情的にどうこうというわけではなく、一定のルールにおいて合理的に判断される。
キャリアアップのためには転職も選択肢になりますが、お金だけ追って転職を繰り返しているとシニオリティの面で不利益を被ることになり得る。
ビジネスパーソンとして絶対的な存在であれば「レイオフなんて怖くもねぇし、シニオリティなんて関係ねぇよ」でしょう。羨ましい限りです。

さて、資本と聞くと『お金』のイメージになりますが、資本の種類ってたくさんあるんです。
そもそも資本の定義として『資本論』の著者カール・マルクスは「余剰価値を生むことによって自己増殖する価値の運動体」と説いています。簡単に表現すると「資本そのものが主体となって価値を生み出す」こと。

■人的資本『人』 
個人が持っている学歴&スキル&知識&経験などの能力。
子供も大人も教育することによって価値を創造する。給料が代表格でしょう。
組織など人の集合体によって価値を生み出すことも該当します。

■自然資本『モノ(自然)』
自然によって形成される資本。
植物を育てることで果実ができることや、森林や水や土壌など。

■物的資本『モノ(人工)』
モノ単体だと意味を成しませんが、人工物として組み立てることにより価値を創造する。
代表的なものは、パーツを組み立てる住宅や車でしょう。
DIY好きの個人が作成したモノもそうですね。

■知的資本『アイデア』『ブランド』『ノウハウ』
企業の無形資産や特許、商標、ブランド価値など。
高価格製品のAppleのiPhoneや、精巧な技術の時計、バックなどの服飾品など。

■金融資本『金』
株式や投資。
お金そのモノを何かの資産というカタチにして収益を生む。
上場株式の株価やビットコインが上がったとか、不動産を購入し家賃収入を得たりする系です。

資本主義社会では「お金を稼ぐこと」が重要視されますが「お金がすべて」とは限らない。
お金はあくまでも『価値表現の一部』であり、それだけに頼る必要はないということだ。

お金がすべて派の意見
「お金で評価される世界で、お金を稼ぐことが成功の証だ」
「どんなに綺麗事を言っても、お金がなければ生きていけない」
「お金があれば、ほぼ全ての問題が解決できる」
「経済力がなければ、愛情すら維持できない」
「お金が全て!?当然だろ。この世はお金で動いている。現実を直視しろ。」

お金がすべてではない派の意見
「必ずしも幸福度と収入は比例しない」
「人間関係や健康など、お金で買えないものはたくさんある」
「お金で他人や価値を測る人間やお金で心を満たす人間にはなりたくない」
「仕事で心身ともに疲弊し、自由な時間が無くなるくらいなら今のままで良い」
「お金を生きる目的とすると、人生の意味を見失ってしまう」

現状とても不満があるのに、頑張って稼ぐ人たちを揶揄し、稼ぐために頑張らなくてもいいや。と自分に言い聞かせているような人や、日々の生活や仕事が当たり前となり過ぎていて、そもそもそんなことを考えたこともないよ。という人もいるかもしれません。

いろんな考え方があると思いますが、結局のところ自分で決めればいいだけなんです。
冒頭のように、資本主義では企業や個人が所有するのも活用するのも自由ですから。

お金が多ければ多いほど選択肢が広がるのは事実ですが、個人の価値観によって「どれだけ稼ぐべきか」は変わる。『貧しい時は収入が増えると幸福度が増すが、ある程度裕福になると収入が増えても幸福度が上がらない』という、『イースタリンの逆説』を参考にしてみてください。

そして『稼ぐ=労働時間を増やす』だけでなく、人的資本の活用次第で自分の価値を高められるように『いろんな資本を活用して収益を生む』という選択肢があります。

個人的な意見になりますが、さんざんブログで発言している『価値が下がる資本に対して、なるべくお金と時間を割く必要はない』という考えは、ここから起因しています。

あなたは、どの資本をどれくらい活かしますか?

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