「自分を評価するなら何点ですか?」
と、相手に自己採点を求める時ってどういう時だと思いますか?
質問した人が”何か理由”があって、その人の自己評価を聞きたいからだと思います。
ビジネスシーンだと採用面接や評価面談などが多いでしょう。
そこには、『評価される側』と『評価する側』というものが存在し、両者間で感覚的なズレが生じていないか確認します。
自己採点した点数について「なぜその点数なのか?」「点数が高いor低い理由はなんなのか?」など、根拠ある明確な回答を言えるかどうかがポイントで、点数が満点でない場合においては課題点から改善点まで述べることができればお互いの考えを擦り合わせる良い材料となるでしょう。
両者間でズレが生じてない場合は、今後に向けて建設的な話しをスムーズに進めることができます。
『評価される側』に「自己採点は何点?」と回りくどい質問からスタートしますが、点数という基準が設けられるので多用される理由もわかります。しかし、このような『評価される側』の自己採点は残念ながら”評価はあくまでも他人がするもの”に繋がるキッカケにしかすぎないのです。
そこで重要になってくるのが点数がどうこうではなく、お互いのズレをなるべく生じさせないための事前準備が必要となります。そのためには、『評価される側』と『評価する側』で明確な基準となるモノが存在し、その内容についての理解度と認識が合致していないと困った状況に陥ります。
例えば、同じ職場内で
Aさん(50歳) 10㎞のマラソンを1時間で走る人
Bさん(25歳) マラソンを始めたばかりの人
共通の趣味だというのは知っているが、どれくらいで走ることは知らない。
Bさんが10㎞のマラソン大会に初めて出場したことをAさんが知りました。
そこで、Aさんが「自分の走りは何点だったの?」とBさんに質問したところ、「初めての10㎞マラソンに出場する決意をして、大会前夜には緊張して眠れなかったのですが、途中で足を痛めながらも2時間で完走することができたので、100点ですよ~」と回答したら、、、Aさんは「えっ!?」となるでしょう。
Aさんからすれば
・初めたばかりだけどさすがに2時間は遅いだろ~
・年齢は俺の半分の若さじゃ~ん
・怪我しないように柔軟体操したのかよ~
・そもそもぶっつけ本番で10㎞走るんかい
・俺は1時間で走れるんだよね
・よくそれで100点って言えるな~
Bさんからすれば
・初めてマラソン大会というものに出場したぞ
・10㎞を走りきることができた
・ぶっつけ本番でもゴールできた
・自分のペースだけど2時間というタイムで走れた
・これから趣味として楽しみだ(ウキウキ♬)
このようなお互いのモノサシが存在してしまうかもしれないが、事前に明確な基準と共通認識がされていないのでどちらが正しいとは言い切れない。
「ぶっつけ本番ではなく、10㎞マラソンを1時間以内に怪我無く走りきる」のような明確な基準を設けていれば、初手の回答内容はかなり違っていただろう。
人によって解釈がズレてしまうような「10kmをなるべく早くゴールする」のようなふわっとした表現&基準ではダメなのだ。
ビジネスシーンに話しを戻しましょう。
「なるべく早くやっといてね」
「打ち上げのお店用意しておいてね」
「ここ綺麗にしておいて」
など、”指示”や”お願い”って【評価する前の基準設定】に該当することがおわかりでしょう。
「本日の15時までに完了させるようにお願い。進捗について11時30分に一度報告してくれる?」
「〇月〇日(金)の19時から15名で、〇〇駅周辺の徒歩10分圏内で、イタリアン料理の個室禁煙ルームで1人5,000円~6,000円までの飲み放題コースのお店の予約を本日18時までにしておいてくれる?」
「15時に来客があるから、20分前までには関係ない書類は2階の書棚に入れておいて」
少しだけ情報を付け加えるだけで、明確な基準を設けることができます。
ということは、
・明確な基準を設けていない。
・明確な基準を設けたけど、相手に言っただけでその意味が理解されていなかった。
など、【評価する側】の質も問われているということです。
さてさて、お気づきでしょうか??
実は【評価する側】も評価されているんですよ。
”評価はあくまでも他人がするもの”
胸の内に秘められていることにも注意です。
明確な基準を設けていないのに、このような発言するのはタブーでしょう。
「(情報を伝えていない部分に対して)考えればわかることだろ!」
「俺が言いたいこと&やって欲しいことくらいわかるだろ!」
「頑張ってやれよ!」
お前中心の”感覚”でモノ言うなよ。。。と思います(笑)
さらに明確な基準を設けてないことを棚に上げて
「疑問に思ったらオマエから質問しろよ」という伝家の宝刀を抜きます。
いやいや、そこは気付きを与えたくれた人に感謝でしょう。。。と思います(笑)
このように、偉くなっちゃうと全て自分の考え&言うことが正しいのだ!のようなやり取りが行われたりします。そして、言われた人は「ど~せ言っても怒られるだけだからな~」と思うようになり、人間関係が希薄になっていきます。
明確な基準を設けていないのに他人に”任せた”のなら、その責任はどこに所在するのでしょうか?
なので、事前の共通認識って非常に大事なんですよ。
事細かに伝えなくても思った通り&思った以上の成果を出してくれる関係は『阿吽の呼吸』と呼ばれ気持ちの良い関係でしょうが、その『阿吽の呼吸』のような稀なケースを基準としてしまうのは間違いです。
さて、所属している会社では評価制度というものがございますか?
その評価内容については明確な基準が設けられていますか?
その基準について説明はありましたか?
その基準について疑問点を感じた場合は質問しましたか?
その基準は成長に結びつくような内容ですか?
その基準をクリアするためにやるべきことはなんですか?
環境はと~~~~~~~っても大切な要素になります。
でもね~
普段からこんな細かいことまで考えて行動してないのが現状だと思います。
なので、細かいところの精度を高めることで”違い”と”効果”を生み出すことができるでしょう。
まさに『細部に神は宿る』という言葉のとおり。
ブラジリアン柔術も同じです。
そういえば、何の記事についてか忘れたが
「今回のブログは何点?」って聞かれたことがある。
思わず笑ってしまった。